オレやっぱサソリってなんか苦手なんだよね。
いやサソリが好きな人の方が少ないと思うけれどさ。なんか苦手意識あるよね、サソリに対して。痛そう、っていうか死にそうだし、もし山歩いててサソリと出くわしたら悲鳴上げると思う。
枕ひっくり返してもしサソリがいたら…とか考えると感受性豊かな少年少女は夜も寝れないと思う。ムカデのヤバい版っていうイメージがあるわな。サソリには。
ていう風にサソリ自体にすでにマイナスの感情がある。
日本にいない生物なのにここまで嫌われてるのってある種才能だよな。だいたい日本にいない生物って好かれてるじゃん、カンガルーにしてもパンダにしてもコアラにしてもさ。サソリだけだよな。
あの恐ろしい(…はず)の白熊ですら日本にいないからっていう理由のみで、日本だとなんかネコやら犬やらに交じって可愛い感じのイラストになってる。ヒグマと大違い。
そんでそれに加えてオレはサソリって聞くとなぜか美川憲一さんがよぎる。
なぜか、っていうか理由はもうわかってるから「なぜか」はおかしいんだけどサソリって聞くとあの人のビジュアルが脳裏にちらつく。あの年齢のいった及川光博みたいなねっとりとした目が。
不思議なんだよなー、別にスイートピーって聞いて松田聖子を彷彿とさせることないし、与作と聞いても北島三郎を彷彿としない。デザイアって聞いて中森明菜をほうふつし…、いや、するな。デザイアは。デザイアって聞いたら中森明菜彷彿とする。
逆もするしな。中森明菜って聞いたらデザイアかな、ってなんか思うし、美川憲一って聞いたらサソリ出るもんな。
デザイア感があるんだろうな、中森明菜さん自体に。そしてサソリ感があるんだろう、美川憲一さん自体に。
そういう意味では残念ながら松田聖子さんにスイートピーのイメージがないかそれか足りていないし、北島三郎さんに与作のイメージがこちらも皆無なのか不足しているのだろう。
スイートピー感、与作感を残念ながら体現できなかったという事だろう。
で、ここからが大事なんだけれど、オレ美川憲一さんの事別に好きじゃない。いや別に嫌いでもないんだけれど好きでもないというか。ちょうど数直線のゼロのところにいる存在というか。
ん?意味わからんって?確かにサソリからイメージされる美川憲一さんにマイナスの感情がないなら、サソリをさらに嫌いになる理由になってないよな。うん、その通り。
なんだけど、なんていうんだろ。
バナナ食べててさ、ガッツ石松の事思い出したらバナナ食べる気ちょっとだけなくなる。ガッツ石松さんの事好きでも嫌いでも数直線ゼロの感情だったけれどなんか食べてる最中にちょうどゼロの人を思い出すことがマイナスというか。
もっと身近なたとえで言うと、学校の先生とか職場の上司とか何の感情もない相手の風貌をせっかく美味しい焼肉なりすき焼きなり、寿司なり食べてる時に思い出したらなんかマイナス感じる。
ゼロなのにマイナス理論。
これってもう人間の真理。というかゼロというのはプラマイでいうとマイナス寄りなんだってことだろう。
このゼロなのにマイナス理論がサソリにも起こってる。
サソリはすでにそれ単体でマイナスなわけだから、そこに美川憲一というゼロ要素が来てもまたマイナスを増やす。マイナスの上塗り現象が発生する。
だから思ったよりオレサソリ嫌いなんだよね。
たぶん大体の人よりほんのちょっとだけオレサソリ嫌いだと思う。うん、美川憲一さんで増した分だけ。
さそり座の女という歌がなければもうちょいサソリの事愛せてたかもしれない。少なくともムカデくらいには愛せてたと思う。
そしてもし、さそり座の女を歌ってるのが石田ゆり子だったなら。
オレはサソリ好きだったろうなぁ…。
サソリグッズとか集めてた可能性ある。
ダフネ?
え、ああ、今B8階。
そんなんよりもっとこの話しよう。やっと興がのってきたとこじゃん。
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